美濃・斎藤家の落ち武者から国持大名にまで出世したのに、自らの突出によって島津との戦に敗戦して改易。一家離散のどん底から再び国持大名まで出世。さらには徳川二代将軍のときには「秀忠付」に任命されるなど徳川幕府の重鎮となった「センゴク権兵衛」こと「仙石久秀」のジェットコースター人生を描く「センゴク」シリーズのSeason4の第16巻。
すでに戦の世は終わったかに見えたのだが、「銭を回す」ための海外貿易のための寧波進出が、造船技術の未熟によって断念し、北条攻めに方針転換された天正18年。小田原ヘ向かう秀吉軍に参陣し、復活を試みるセンゴクとその家臣一同の奮戦が描かれるのが本巻。
【構成と注目ポイント】
構成は
VOL.127 第一歩
VOL.128 天下人の合戦
VOL.129 陣借りの身
VOL.130 蟻地獄の如く
VOL.131 攻城戦
VOL.132 武功
VOL.133 帰参願い
VOL.134 惣忘令
VOL.135 千石原
となっていて、まずはセンゴクと彼に従う三十騎の部下が小田原に向かって進むところからスタート。
木曽川から尾張をへて小田原へと向かっていきます。途中、岐阜の稲葉山城や熱田神宮を経由しての行程で、センゴクが徒手空拳から一国の大名にのし上がり、その後、戸次川の大敗戦で没落するまでの回想がされています。このあたりを詳しく知りたい人は「センゴク」「センゴク天正記」「センゴク一統記」を読み返すとよいですね。
ただ、豊臣秀吉を評して
おそらく殿下は
「万一、信長公が死んだらどうするか」
ちゅうことまで考えとったと思う
でなきゃあ
信長公の横死と同時に
あんな神がかった動きはでけん
とあるのですが、ちょっと買い被りかな、と思います。ここらは「センゴク一統記」を当方なりに読むとそんなに冷静ではなかったように思います。
さて舞台は、北条家の治める小田原城攻めに移ります。ここで、センゴクたちも功をあげて一挙に復活を、と意気込むのですが、そんなに世間が甘いはずもなく、
黄門様へのお目通りなどもってのほか
我が主君、田中兵部様が直々にお呼びになること自体
果報と思うて頂きたい
といった感じで秀吉に面会できないのはもちろんのこと秀次の宿老でもあった田中兵部(田中吉政、後の柳川のお殿様ですね)にやっと直答ができる、といった具合です。まあ、このへんでブチ切れないのが、彼の浪人時代の修行の賜物ですかね。
そして、山中城攻めの際は、救援部隊に回されて、武功をたてる機会もない参戦となります。しかし、功をあせって北条系の城郭の難所・堀障子に落ちて命を失ったり、手柄争いで味方と揉めたり、といったこともなく、堀障子に落ちた味方勢を救ったりして地盤固めをしています。
ここらが、後の大復活につながったのかもしれないですね。
この時に、センゴクたちは、秀吉が味方の諸将をねぎらうために行軍する折に道端で拝する機会を得るのですが、センゴクが控えていることに気付いたはずの秀吉からは、声もかけられることなく、ましてや帰参容認の話もありません。
こういった境遇に面白いはずもなく、うっぷんを溜めていたセンゴクなのですが、この時、偶然に幼い武者に出会います。
その彼の不満を聞いたり、一緒に水切りをしたりしてよもやま話しをして、彼の鬱屈を慰めたり、センゴクが愚痴を言って宥められたり、といった不思議な関係を構築します。
この幼い武者が実は・・・、ということでセンゴク復活の緒が開かれていくのですが、詳細は原書で。
【レビュアーから一言】
秀吉と道端での拝謁の際に、センゴクが帰参のお願いをしなかったのは、
焦るなかれ
肩肘張った決意は案外脆いもの
願い叶わぬとすぐに心折れる
決意は静かに、そして徐々に
といった浪人中に学んだ智慧があったのですが、一方で参陣と想いを知りながら全く無視する秀吉の態度が後の関ヶ原の戦での徳川方への味方を招いているのかもしれません。
当方的には、神子田や尾藤の処断や秀次一族の処刑などとあわせて、今まで苦労をともにしてきた昔の仲間へ
私の友人も
知音に何かを求められたり
利用されるのを嫌います
といった理由から冷たくしていたのでしょうが、竹中半兵衛ならば理解しても、他の仲間や部下には割り切れない落胆や失望の念が残ったのではないでしょうか。そうした想いの積み重ねが、秀吉亡き後の豊臣政権の瓦解につながったと思うのですがいかがでしょうか。今をときめく方々はお気をつけられたがよろしいかと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿