鹿児島の出身で日本警察の基礎を築いた「川路利良」を中心人物にすえて、ペリー艦隊の来訪から安政の大獄を経て明治へ続く幕末の時代を、「ハコヅメ」の作者・泰三子が、倒幕の片翼を担った「薩摩藩」や「彦根藩」の視点から描いた幕末歴史コミック・シリーズ「だんドーン」の第4弾。
井伊大老の反対派弾圧がますます激しくなる中、水戸藩や薩摩藩の過激派によってひきおこされた「桜田門外の変」が、薩摩藩、彦根藩双方の視点から描かれるとともに、その陰に隠れている有村次三郎と日下部まつ、井伊直弼と多賀者の頭「タカ」の恋模様が描かれるのが本巻です。
あらすじと注目ポイント
第4巻の構成は
第二十六話 日月よ止まれ
第二十七話 桜田門外の変開始
第二十八話 桜色の雪
第二十九話 桜田門外の悲劇
第三十話 慕い偲ぶ思い人
第三十一話 薩摩の腹の内
第三十二話 雪を背負う一本松
第三十三話 お利口さん太郎
第三十四話 さらば薩摩、さらば髪
となっていて、井伊大老の反対派弾圧がますます強化され、追い詰められた水戸藩や薩摩藩の過激派がいよいよ井伊大老襲撃の計画を練るところからスタートします。
襲撃の中心となるのは、関鉄之助を始めとする水戸藩士17名と薩摩藩を脱藩した有村三兄弟の三男・有村次左衛門、そしてそれを三兄弟の次男・有村有助が水戸藩の金子孫二郎とともに後方支援にあたります。金子孫三郎は先代の水戸藩主・徳川斉昭に仕え、吟味役や奥右筆を務め、最終的には郡奉行に昇進し、藩内の安政の改革を進めた水戸藩内の斉興派の中心にいた人物ですね。
ここで、川路が密偵として使っていた多賀者の「犬丸」が首を斬られ、その首が薩摩藩邸に投げ込まれたことが明らかになります。その検死の状況では犬丸は抵抗したあとがなく、情報を多賀者に離した可能性が高いと思われるのですが、川路は犬丸が最期に仕事を果たした証だと告げます。その意味は襲撃の際に明らかになります。
片や彦根藩のほうでは、犬丸の話した襲撃計画をもとに、多賀者の頭「タカ」が警備計画を練っています。彼女は直弼に対し
討ち入り浪士は一人も漏らさず
ちゃんと殺す
と豪語します。ここは「討ち入り」という表現を使っているところがキーワードですね。
そして物語は「桜田門外の変」の実行場面へと移っていきます。桜田門から2kmほど離れた愛宕神社に集合した実行メンバーたちなのですが、恋人の「日下部まつ」と会っていた有村次左衛門はなんと遅刻してしまいます。このあたりの襲撃前のピリピリした雰囲気をユーモラスに描くあたりは筆者の腕の冴えですね。
この襲撃計画は彦根藩邸を出立した井伊直弼の一行を、彦根藩邸羅から桜田門に入る前600メートルの間のできるだけ藩邸から離れたところで待ち構え、直訴とみせかけて一人が行列の前へ出、行列の進行を止めます。直訴を止めようと護衛の彦根藩士が前方に集中したところで、短銃で直弼を狙撃。そのうえで駕籠に乗せたまま桜田門あるいは藩邸に逃げ込まれるのを阻止するため、直弼の駕籠を襲い、駕籠から引きずり出して首を落とす。その後、生き残った者が近くの藩邸に斬奸状を持ち込む、という段取りです。
一方、彦根藩の護衛を統括する多賀者たちは桜田門とは離れた藩邸内の肥後細川藩邸側に終結しています。この警備計画は、犬丸がタカに伝えた、「大老が登城のため藩邸を出発した後、彦根藩邸に討ち入り、大老の妻子を人質に立て籠もり、日下部裕之進ほかの釈放を要求する」というものに基づくものだったのですが、これが全くのガセというより、彦根藩と多賀者を陥れる罠だったわけですね。
この偽の計画を信じてしまった原因を考察すると、仲間であった犬丸が密偵であったことが判明後、タカに対し従順な態度であったので彼が最期に改心したと錯覚したことと、江戸城の門前で、当時の日本の実質的な第一の権力者を襲う者などいないはず、という思い込みが原因のような気がします。安倍元首相銃撃事件と同じ構図なのかと思います。
この後、本シリーズでも水戸藩士+有村次三郎と彦根藩士との桜田門外での死闘が描かれるのですが、その詳細については原書のほうでどうぞ。水戸浪士や有馬次三郎を単なる暗殺者として描くのではなく、「なぜ彼らがそこまで追い詰められたのか」「何を背負って雪の中へ向かったのか」が丁寧に描かれています。表紙にも有村が大きく描かれており、第4巻の象徴的存在になっています。さらに、襲撃される井伊直弼も単純な「悪役」として描かず、彼にも守るべき秩序や情があったこと、とりわけ多賀者の頭「タカ」や彦根藩士との関係性が細やかな情愛を込めて描かれています。
ちなみに、彦根藩士の抜刀と応戦が遅れたのは、寒さのせいばかりではなく、銃撃を受けて意識が混濁してしまった井伊直弼が応戦の許しを与える暇がなかったため、という説もあるようです。
中盤以降は、襲撃直後の状況が描かれます。自ら取得した偽の情報によって警備の方向を誤り、直弼を死なせてしまった「タカ」は配下の多賀者の命を助けるため、長野主膳に責任を引っ被せ、現場から脱出します。ここだけ見ると「クソ」みたいな所業ですが、陰の存在であった多賀者ならではの事情があったようです。
さらに、水戸藩士が直弼の首を一橋慶喜の近臣先の屋敷まで届け、彼にこれからの日本を託す旨を申し述べるのですが、彼は冷たく無視します。ここらに、大政奉還後の鳥羽伏見の戦直前の逃走劇の前触れをみるようです。
そして、襲撃の後方支援を行っていた有村兄弟の次男・有村雄助も、襲撃の責任が薩摩藩に及ぶことを回避するため、藩の沙汰によって切腹を命じられます。周囲の人たちを思いやりながら自死を選ぶ雄助の姿に、「桜田門外の変」の語られたこなかった一面を見ることができます。
後半部分では、薩摩に帰還した川路と犬丸の遺児・太郎のことが描かれます。「多賀者」の子供として生を受け、父から忍びのあれこれを教えられてきた太郎の処遇に悩む川路だったのですが、彼にまわりを気遣う姿勢によって、外来者に対してガードの堅い薩摩者に仲間として受け入れられることとなります。彼のモデルは、大久保利通の従者であった「中村太郎」と中村半次郎(桐野利秋)の従者・中村太郎とのことなので、これからも重要なキャラクターとして活躍していきそうです。
最終盤では、次巻への露払いとして、開国による物価高と通貨暴落で一挙に二分されていく様子が描かれます。倒幕派の旗印として、島津久光の上洛・挙兵を望む声が高まる中、薩摩の忍び「山くぐり衆」の頭・伊牟田尚平が脱藩し、薩摩の密偵として庄内藩の清河八郎らの過激派に接近するなどいよいよ幕末の動乱に突入していきます。
レビュアーのひとこと
「桜田門外の変」の際に井伊大老の護衛にあたっていた彦根藩士は60名程度で、テロの情報がはいっていたにもかかわらず、井伊大老の指示で通常通りの随行人数であったようです。このうち8名が死亡(即死4名、変後に死亡した者4名)、5名が重軽傷を負ったようです。
この主君を護りきれなかった護衛の侍たちに対する処分は厳しく、死亡者には家督の跡目相続が認められたものの、重傷者は俸禄を減知された上に流罪・幽閉、軽傷者は切腹、無傷の者は斬首の上、家名断絶となっています。さらにこの処分は当人ばかりでなく、親族にまで及んだと言われています。
また彦根藩の方も無傷ではなく、直弼は「急病を発症し闘病に努めたが、本復せず、急遽跡目相続願いを出し、その後死亡」ということにして家名断絶までは免れたものの家職であった京都守護職は罷免、その上、減封という処分を受けます。そのためか、第二次長州征伐などでは幕軍として出陣ていたものの鳥羽伏見の戦では幕府軍の先鋒として出陣したものの翻って新政府側につき、以後、倒幕側として大津などの守備を務めています。
桜田門外の変は薩摩などの倒幕側だけでなく、討たれた側にも大きな影響を及ぼしていたわけですね。
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