落語の一門・阿良川流の真打ち昇進を決める審査会で、審査委員長を勤める大御所から「破門」を言い渡され、それをきっかけに落語を辞めた父親の仇をうつため、その娘「桜咲朱音(おうさきあかね)」が、大看板の落語家となることを決心し、女性としては珍しい落語家の階段を登っていく噺家版サクセスストーリーとなる『末永裕樹・馬上鷹将「あかね噺」(ジャンプコミックス)』シリーズの第19弾〜20弾。
前巻までで「志ぐまの芸」を受け継ぐために必要となる条件の一つ「死神を十八番にする」を達成するため、江戸から世襲で続く名跡の継承者「椿屋正明」に稽古を依頼した「あかね」だったのですが、彼の「”見”がない」という評価をひっくり返し、さらに阿良川一生の「客を笑わせずに優勝しろ」という難題を抱えながら、「あかね」の瑞雲大賞への挑戦が描かれます。
あらすじと注目ポイント
第19巻 「阿良川ひかる」は「自分」のすべてを芸に突っ込む
第19巻の構成は
第百六十席 彼女もいる
第百六十一席 勝っちまうんじゃ
第百六十二席 こんなもんじゃないだろ
第百六十三席 本選
第百六十四席 誰が見ても明らか
第百六十五席 思ってたより
第百六十六席 煌めかせる
第百六十七席 差し出す覚悟
第百六十八席 私は強くなった
となっていて、冒頭では「瑞雲大賞」の予選の場面から始まります。
最初に高座にあがるのは「あかね」です。前座時代は注目されたとはいえ、ヨーロッパに行き消息を経っていた間についてしまった阿良川ひかるや三明亭からしとの世間の評価の差は明白で、「あかね」は椿屋正明や阿良川一生に出された難題と併せて、このハンディと闘っていくことになります。
で、この賞レースで「あかね」が演じるのは「吝い屋」です。「あかね」は居酒屋のマスター・みくちゃんの言葉で気づいた「自分を押し通す力」を基に「遊園地みたいな高座」を目指します。
「吝い屋」というのはケチな人にまつわる小噺をつないでいく噺で、「あかね」は怪談噺、滑稽噺、食べ物噺、芝居噺と目まぐるしいスピードでジャンルを横断する仕立てで演じます。
お客の一笑いもとらずに芸で圧倒するのですが・・・という展開なのですが、「芸の凄さ」より「笑い」が評価される賞レースのため、1位、2位を占めたライバル「三明亭からし」「阿良川ひかる」に対し、決勝進出順位は6人中5位と下位の沈んでしまいます。
芸の力技で勝てなかった「あかね」は夜更けの波打ち際に立ち、何かをつかもうとするのですが・・という展開です。
翌日の本選会場にボロボロに疲れた姿であらわれ
へへっ、ようやく、ようやく・・なれました
落語だけに・・・なれましたよ
と審査委員・椿家正明に言う「あかね」は何をつかんだのでしょうか、詳細は原書で。
そして本選が始まります。最初に登場するのは「阿良川ぜんまい」です。派手な演技が目立つ「ぜんまい」なのですが、椿家正明は
演者ばかりが立ち
噺が入ってこない。
”作品”としては未完成
と厳しい評価を下します。
他に審査員はいるものの彼の評価がすべて決することがわかった出場者たちなのですが、椿家正明を満足させるのはなかなかの難事です。
そして三番目に高座にあがるのは、ライバルの一人「阿良川ひかる」で、彼女の演目は「お菊の皿」です。
江戸時代、腰元のお菊が家宝の10枚の皿の一つを割ってしまい、殿様に手打ちにされ井戸に放り込まれてしまうのですが、その後、夜な夜な井戸から皿を数えるお菊の声が聞こえるという怪談を底ネタにして、お菊の幽霊がでる「番町皿屋敷」に長屋の若者連中が怖いものみたさに出かけます。丑の刻となり、お菊の幽霊が現れ、若者たちは狂い死にする9枚目や高熱のでる8枚目を数える前(6枚目か7枚目)に逃げ出すのですが、美人のお菊みたさに毎夜通い、6枚目を数えたところで逃げ出す輩がどんどん増え・・という前半は怪談仕立て、後半は滑稽仕立てという噺なのですが、声優として人気もあり、女優、噺家として幅広い活躍をしている彼女は、その美貌と語り口という自分の武器を存分に活かした芸を披露して・・という展開です。「ひかる」の見せた芸に対する「椿家正明」の評価については原書で読んでくださいな。
第20巻 「あかね」は離見の見」と「古典の真髄」を体得する
第20巻の構成は
第百六十九席 偽りの古典
第百七十席 三明亭の型
第百七十一席 外形の極意
第百七十二席 落語バカ
第百七十三席 信じる正義
第百七十四席 無駄に遣うな
第百七十五席 至れるかな
第百七十六席 目を向けるべきは
第百七十七席 更に奥
となっていて、冒頭は「あかね」のもう一人のライバル「三明亭からし」の登場です。
創作落語で人気のある「からし」なのですが、今回、彼の演じるネタは、江戸時代の人気歌舞伎役者の市村猿太郎のスキャンダルをつかめと「読切(瓦版)」の親方から命令された従業員の「定吉」が芝居小屋に忍び込んでおきるドタバタを描いた「猿まね」という噺で、古典噺らしき仕立てなのですが、実は「からし」の創作という「擬古典」ものです。
この噺を、登場人物の心持ちになって演ずる「了見」ではなく
目線・背の張り、手の置く位置、握り、座す佇まいから役を演じ分ける
という身体(型)から入って(客の)心を掴む「外形」「姿即心」という師匠の三明亭円相から伝授された技を使って、客席を引き込んでいきます。
これは、落語に限らず、あらゆることを器用にこなすのですが、「あかね」の芸への打ち込みに勝てない「からし」の対抗手段ですね。さらに、「了見」を体得できなかった師匠・円相の姿でもあります。
そして巻の後半、いよいよ「あかね」の高座です。「ひかる」「からし」の演技が終わって、残りは「消化試合」感が漂う会場の客たちをどう惹きつけるかが課題となります。
「”見”がない」という正明師匠と「客を笑わせずに勝ってみせろ」という一生師匠の二つの枷を背負っての高座なのですが、「あかね」の演技は、「ただただ、自然な語り口」で始まります。
少しネタバレしておくと
笑いどころ、泣きどころ
噺の筋が際立つように演者は様々な味付けをする
ーーだが、手を加えんとする、その噺は時代を超え愛された逸品
ありのままで魅せろ
古典は手を加えずとも、客が笑えるようにできている
ということが阿良川一生の指南の肝で、「あかね」の語り口はこれを体現しているようです。
そして、椿家正明の「見」の意味は
舞台上にありながら
舞台上にいる自分自身を見つめる目
すなわち能の大家・世阿弥が唱えた俯瞰の極意、「離見の見」です。
二つの枷をはずした「あかね」の芸は可楽杯でみせた「消える高座」を超えるもので・・という展開です。
レビュアーのひとこと
ネットで調べてみると、本シリーズ中にでてくる「了見」とは
単なる「考え」や「気持ち」を超え、噺家が登場人物の心情や業(サガ)、背景を深く理解し、高座でその世界を表現する「独自の解釈」や「心構え」
「外形」とは仕草、動作、形、セリフの抑揚など、目に見える演技の具体的な形をいい、センスや手ぬぐいを使い左右、上下への顔の向きで人物を演じ分ける技術
となっています。
本巻では落語表現の対立概念のような扱いをされているのですが、どちらかというと内面と外面の違いで両者相まっての落語表現のような感じがします。
ちなみに、本巻で「了見」の側には阿良川一生が立っているのですが、この人のモデルと思われる立川談志師匠は「人間の業や滑稽さを認め、枠にとらわれずに、粋や風情、「まあいいか」といった人間味を大切にする柔軟な姿勢」を意味する「落語的了見」を唱えています。
ちなみに、「外形」の側にたつ「三明亭円相」のモデルが誰かはよくわからないので、このあたりのエピソードは調査中です。
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